トニー・ホーク(Tony Hawk)のインタビュー:歴史的プロスケーターで大企業家

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企業家を対象としたWebサイト"entrepreneur"に世界のトッププロスケーターで企業家のトニーホークのインタビューが掲載された。読んでみたら面白く、且つアクションスポーツ アスリートのお仕事インタビューをしている僕としては和訳しないわけにはいかないと思い!このエントリーを書きました。

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トニーホークは歴史的プロスケーターで年収12億円の企業家

トニーホークは9歳でスケートボードを始め、14歳でプロスケーターになった。
誰よりも多くの大会で優勝をし1999年には史上で始めてスケートボードでの900(2回転半回る技)をX Gamesで成功させた歴史的プロスケーターだ。


Tony Hawkの900

トニーホークは高校生のときに大会の賞金を貯めて自分の家を買った。
そして数年後スケートボード業界が低迷しているにもかかわらず、自分の始めての会社"Birdhouse"を立ち上げた。
41歳になった今、トニーホークは世界でもっとも稼いでいるアクションスポーツ アスリートになった。
Forbesが情報元のアクション スポーツ アスリート長者番付 トップ10で見ると彼の年収は推定$1200万(約12億円)と破格だ!
トニーホークは彼のスケートボードをはじめ自転車、洋服、靴、自叙伝、イベントのBoom Boom HuckJam、ゲームをリリースしており、1999年から世界中で$16億(1,600億円)を売り上げている。


トニーホークのスケート

アメリカンドリームを手にし、今はスケートボードの歴史に残る人物のトニーホークのプロスケーターと企業家としてのインタビューを楽しんでください。

以下、トニーホークのインタビューを意訳

スケートボードがスポーツ以上になるといつ気づいたの?

高校のときにそんな気がしていたんだ。スケートボードは人気があったんだけど、メインストリームではなくてかったんだ。
まだアンダーグラウンドだったんだけど、ツアーに出かけては、賞金を稼げて、自分のシグネチャー商品からのロイヤリティーを受け取ることができたんだ。
90年代前半になったらスケートボードはファッションから外されちゃったり、スケートパークでは怪我による起訴もある、たくさんのスケートパークが閉鎖したんだ。そして人々はスケートボードを子供にとっていいスポーツとは見なくなったんだ。


そして、Tony Hawkは1992年にBirdhouseを創業したね

おかしいと思うよね。だけど俺は自分の運命を自分でコントロールしたかったんだ。
そして、自分の家を2番抵当に入れたんだ。自分のパートナーのPer Welinderも元プロスケーターで彼も自分の家を2番抵当に入れて、俺が$40,000、Perも$40,000を出資してBirdhouseはスタートしたんだ。
これは大きなリスクに見えるかもしれなかっただろうが、俺はハートをスケートに捧げていて、投資額が大きな成果になって返ってくるんだと感じていたんだ。
そして、スケートボード業界は小さかったから僕たちがメジャーなブランドを作り上げることはそう難しくなかったんだ。


仕事場がスケートボードの上から重役会議室に変わったのは大変ではなかったの?

ビジネスを始めたときは、自分はプロスケーターから退いて裏方になるのかと思っていたんだ。
だけど、これはまったく間違ったアプローチだということに気づいてね。
例えば広告を作ることは他の人のほうが僕よりもうまくできるから、僕がそれをやるよりも
自分がプロスケーターとして会社を知らせる役目を担うのがとても効果的だということが分かったんだ。

それから、プロの大会にまた参戦していい成績を納めるようになったんだ。
そのときはX Gamesが始まったばかりで、僕はほとんどの大会で優勝した。
その結果、人々は僕の名前を知るようになり、Birdhouseの評判も上がっていったのさ。


自分のビジネスのためにTony自身が活動し続けることは重要なの?

うまくやらないといけないんだど、現場に出てスケートをして、人々が何に夢中になっているかをこの目で見なければいけないんだ。
もし、僕がスケートボードをしなければ、自分が嘘をついているように感じるんだ。


それで、人々はそれを感じるの?

そりゃー感じるよ!だから僕はスケートをしないといけないんだ、自分自身のためにもね。
もし、スケートをしなかったら、僕は自分で自分をコントロールできなくなりそうな気がするんだ。


スケートボードの大会同様、ビジネスでも自分の直観がうまく働いている?

過去いくつかの意思決定の中で最高のもののいくつかは自分の直観に従ったものなんだ。
昔、テレビゲームでスケートボードが起用されるたびに、僕は夢中になっていたんだ。
そして1997年ー98年に僕はテレビゲームのアイディアを売っていて、自分のアイディアを持って、Activisionに行ったんだ。
だけど、彼らのやっていることを見た瞬間、僕は"俺はこれに是非ともかかわりたい!"。それから大きな成功になったんだ。
Activisionは素晴らしい物を持っていた。それに僕の専門技術、ネットワーク、ディレクションが加われば、ガチンコスケーターとゲーマーの両方が喜ぶ本当に楽しいゲームが作れると思ったんだ。


新しいゲームTony Hawk Rideはそのアイディアをさらに進化させたんだね

今度は全てがワイヤレスなんだ。そしてほとんどが身体の動きによってコントロールできるんだ。
そして、僕がActivisionにこう言ったんだ「もうスケートボードを立ってできるようにする時期が来たんじゃない!?」


それはTony きみのアイディアなの?

そう、僕のアイディアだよ


11月のリリースに向けて緊張している?

死ぬほど緊張しているんだ。だって自分が持っていったアイディアに対してActivisionがどれだけ投資をしたのか、僕は知っているんだ。彼らは2年をかけて開発をしたんだ。だけど誰もどうなるか分からない、それが怖い部分だけど。でもいい商品なのは分かっているんだ。


全てのプロジェクトがうまくいったわけじゃないよね。うまく行かなかったプロジェクトについて教えて

僕たちはハイエンドなデニム メーカーに投資をしたんだ。そしてそれが当てにならないBuzz(評判)を生んでいたからお金を投資し続けたんだ。
僕たちはジーンズに$120を出して買う人がどれだけ少ないかを知るまで、そのデニムメーカーがヒットすると信じ続けていたんだ。
だから、成功しているビジネスの利益からそこにお金を投資していたんだが、最終的には辞めなければいけないことに気づいたんだ。


きみは頑固な男だよね。そのとき諦めるのは辛かった?

自分の思ったとおりに成功しなかったのは、自分の自尊心に対して大きな一撃をくらったね。
自分が愛するもの全てが売れないということを学んだよ。


自分の人生での父親フランクの影響について教えて

父は教えてくれた一番のレッスンは、子供が例えちょっと型破りなことをやっているときでも、子供をサポートすること


若いとき他に誰が影響を与えた?

ステイシー ペラルタ(Stacy Peralta)が最初に僕のスケート人生で影響を与えてくれたんだ。
彼は僕の才能に気づいてくれてボーンズ ブリゲード(Bones Brigade)に入れてくれたんだ。
ボーンズ ブリゲード(Bones Brigade)はスケーターのエリート集団さ。
そして僕が13歳のときにフロリダの大会に行かせてくれてね。
それまで旅をしたことがなくて、フロリダの土地柄が合わなくて僕は大会でうまく滑れなかったんだ。
だけど、このときに多芸性と現状を受け止めることを学んだんだ。
僕は彼が旅をさせてくれたことが嬉しかったんだ。そして翌年その大会に行って前よりもいい滑りができた。さらに翌年は優勝かトップ3に入る成績を収めたんだ。
逆境のときに自分をどうやってコントロールするのかをすごく学んだよ。
だから、彼が俺にこう言ってくれたと思うんだ 「お前は自分が今まで想像した以上のことができるんだ」ってね


スケートボードが下火のときに自分のビジネスを始めたよね。この時期に同じくビジネスを始めた人へのアドバイスはある?

僕のアドバイスは自分のハートに従うことだ。そして、自分がやっている理由はそれが大好きだということだ。
例えお金が支払われなくてもやってしまうことをやること、そこから全てが組み合わさるんだ。
例えそれが大きなお金を生み出す成功でなくても、自分は幸せになるしね。
僕がやっていることは例え稼ぎがなくても、僕はやり続けるよ。

そして、僕の成功の定義は自分が大好きな仕事をやっているということだ。
たくさんの人がやらなければいけないという気持ちで仕事をしていて、自分の情熱に従ってリスクを取ることをためらっていると僕は感じるんだ。
明らかにリスクを取るほうがハードだけど、もしかして、今の仕事が首になったときに、自分の取り柄が新たな仕事をスタートするチャンスになるかもしれないと思うよ。


自分が従うプロセスってある?

僕の一番のアドバイスは達成可能なゴールを設定したスモールスタートから始めるということだ。
いつも大きな絵ばかり見ていると、全てに置いて失望してしまうよ。
後ろをかえりみないぐらい自分の挑戦に集中していると、あるとき自分が既に目標とするところに到達しているのに気づくんだ。
自分のスケートボードの話しをすると、僕はしばらく世界のトップにいたんだけど、当時自分はとても忙しくて、やっていることにスゴく集中をしていたから、そのことに全く気づかなかったんだ。
そして、ちょっと落ち着いて自分を客観的に見たときに「マジで! これは想像もしなかった夢だ!」と思ったんだ。もし自分のやっていることを愛しているのなら、全てがうまく収まるよ。


スケートボードにおいて「自分のスキルに一度も満足したことがない!」と言っていたけど、企業家としてはどう?

自分自身をビジネスに精通しているとは思っていないんだ。成功をしたけど、失敗もした。
そしてまだたくさん学ぶことがある。自分は大きなビジネスを進めて、全て合理的に納めることをもっと学ぶ必要があるんだ。多くの仕事が本当に大きくてね。
回りの人々がベンチャーキャピタル、ファイナンスを題材にあれをこう作って、どうのこうのしてと話しているときなんかは、家を買うための借金を借りる時のミィーティングみたいだよ。50枚ほど何が書いてあるか分からない書類にサインをしたりしてね。


自分の人生がこうなったことに驚いている?

自分個人の成功では全てが驚きだよ。"自分はどうやってここに来たんだ?"と毎日思う時間があるよ。
スケートボードに関しては驚いていない。なぜなら、いつもスケートボードは大きいポジティブなインパクトを人生に与えられるといつも感じていたからね。
そして、スケートボードは僕に自信、忍耐と多様性を教えてくれた。
スケートボードには目で見る以上の何かがあるともいつも感じていたんだ。
僕はもう41歳だけど、まだプロ スケーターなんだ。これって、狂っているだろう?!
でも、これが俺の職務で、俺はこの職業を愛しているんだ。


インタビューを読んだ、植山の感想

トニーホークのインタビューはとても興味深いもので、僕が感じた彼の素敵なポイントを3つばかりあげてみる


チャレンジ精神

13歳からプロスケーターとして活躍しているため、常に新しい技、大会など逆境、さまざまな状況下でチャレンジをしてきただろう。
そのチャレンジに観客たちは拍手喝采をし感動をした。
アクションスポーツの中毒性とリスクのビデオを見ると分かるだろうが、アクションスポーツアスリートはチャレンジをし続けることが体に染み付く。その中でもトニーホークは、チャレンジすることをスケートボードからビジネスへと広げた勇気ある人物だ。


アスリートとビジネスマンのバランス

Birdhouseを立ち上げX Gamesで優勝しまくっている時期に、彼はスケーターとして一般の人たちに知られ、彼のビジネスも上昇していったと思う。
他のプロスケーターたちは1日中スケートボードをしている傍らトニーホークはビジネスとスケートを両立していたのだろう。
それでもトップスケーターとしてのスキルを磨きながらと会社経営もするのは集中力があるのと、きっとトッププロスケーターと経営者にはどこか共通な要素があるのかもしれないと感じた。


トニーホークも勉強中

アスリートとして一流の人はビジネスでも一流なのか?
インタビューの中でトニーホーク自身が言っているがファイナンスの話しは苦手みたいだ。
さらにもっと大きな事業のコントロールの仕方について勉強が必要だとも言っている。
彼自身も勉強が必要と感じているのは、僕自身頭が下がる。
また、インタビューで意思決定において直感が効いていると言っているが、同時に論理思考も必要だと僕は考える。
しかし、スケートボード、BMXなどのスポーツで論理的思考が必要な場面はさほどないためアスリートで論理的思考が得意な人はあまりいないとも予想する。
脳みそが筋肉と思われがちなアスリートだからこそ論理的思考が必要だと僕は信じる。